演劇のジャンルって言われると意外としっかりと区別がつかない人が多いと思います。
というのも演劇のジャンルは、人によっていろんな使われ方をしたり、一つの芝居でも多くのジャンルを含むなど、わかりにくくなっているからです。
演劇では「コメディ」や、「サスペンス」「SF」など、一つのくくりでは表すことのできないお芝居が多いです。
とはいえ、見に行こうと思う演劇のジャンルが思っていたのと違っていたら、残念ですよね。そこで、ここでは、演劇や舞台のジャンルの違いをできる範囲で大まかに説明します。
人によってジャンルの定義は違うので、あくまでも参考にしてください。
アングラ演劇
とくに小劇場(小規模)の演劇活動をしている人は、1度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
「アングラ」となんとなく聞いたことあるけど、あるいは使ってみたけど、本当はよくわかっていないなんていう人も多いのではないでしょうか?
アングラ演劇:実験的演劇
「アングラ」とはアンダーグラウンドの略です。アンダーグラウンドとは、英語で「地下」の意味です。
とはいえ、地下で行われているものをアングラというわけではなく、1960年代中期ごろから起こったそれまでの価値観や、低俗とみなされていたものの復興された演劇です。前衛的で実験的な演劇と評されたりもします。
簡単に言うと、「エロ」「グロ」などのタブーを恐れない表現や、想像できない突拍子もない展開が特徴です。
それまでの価値観に当てはまらないという意味で、小劇場のみならず、劇場を飛び出して、テントや街頭などでも上演されたりします。
寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、佐藤信がアングラ演劇の代表で、アングラ四天王とよばれたりもします。
小劇場の演劇のジャンルとしてはよく聞くものなので、覚えておくとよいでしょう。
新劇
新劇もよく聞く演劇のジャンルの一つですが、説明するとなるとよくわからないジャンルの一つです。
新劇とは、ヨーロッパ流の近代的な演劇を真似しようとした日本の演劇です。
新劇の起こりは明治時代末期で、坪内逍遥や小山内薫により始められました。
当初はシェイクスピアや、チェーホフ、イプセンなど、海外の作家の作品を翻訳して上演していました。
坪内逍遥の名前は、今もそういった海外戯曲の翻訳として名前をみることができます。
そして、その時土方与志、小山内薫らによりはじまった築地小劇場が新劇初の劇場になります。
今でもある文学座、俳優座は築地小劇場の後に続いて起こった新劇時代からの団体です。
しかし、いまの新劇はアングラ運動の影響や、時代の流れにより海外戯曲の翻訳上演というよりも現代的な日本の戯曲を上演するようになっているので、かならずしも新劇系の団体が海外戯曲を上演しているわけではありません。
現在では、純粋に現代劇との対比として「新劇」と使うこともあり、ぼんやりとした演劇のジャンルになっています。ジャンルというよりも、演劇の歴史のなかで使われた用語だと思っていいでしょう。
大衆演劇
大衆演劇も幅広く使われるジャンルで、その定義は曖昧です。その名の通り、幅広い人に向けてという意味はあるのでしょうが、現在多くの人が見るミュージカルや、2.5次元、現代的な舞台などとも違い、「大衆演劇」と使われるときには、人情劇や時代劇が歌謡・舞踊ショーなどといったいわゆる江戸時代から続く庶民の大衆文化のことを指すことが多いです。
今では、劇場でうつこともすくなくなり、健康ランドやホテルなどで行われることが多いです。
こちらの大衆演劇の総合サイトをみてもらえると、大衆演劇の雰囲気がなんとなくわかりやすいのではないでしょうか。
ストレートプレイ
ストレートプレイは、簡単に言うと、ミュージカルなどとは異なり歌を含まない演劇のジャンルです。また、ポストモダン的な話の筋をもたない実験的な演劇もストレートプレイに入れない場合が多いです。
あくまでもセリフや行動の筋道がはっきりしていて物語のある芝居だと思っていいでしょう。
「セリフ劇」や「正劇」とも言われたりもします。
劇団四季などを観に行く時、ストレートプレイと書いてあるものは、歌を含まない芝居ですので気をつけてください。ミュージカルだと思っていくと、残念なことになります。
リアリズム演劇・自然主義演劇
リアリズムはその名の通り、リアルを追求した演劇のジャンルです。
無駄な動き、わざとらしい動きを削ぎ落とし、あくまでも本物をつきつめることによって人間世界の矛盾を暴き出そうとします。
自然主義との違いがよく混同されますが、普通の会話レベルではそんなに気にしなくていいと思います。
自然主義は、リアリズムと同様に自然を突き詰めますが、その結果として乗り越えられない壁(遺伝や環境によるもの)にぶつかることを示します。例えば、どれだけ努力したとしても、人間は空を飛ぶことができない。全てのものはいつしか時の流れで滅びる。など、自然の摂理を示すものです。
つまり、世界の問題が解決されることを前提として、その問題を提示することで解決を促すのがリアリズムで、その問題を提示することで解決できない現実を知るのが自然主義だといえるでしょう(あくまでも一説です。)
リアリズムの代表例は、ヘンリック・イプセンの「人形の家」があります。家庭における女性の自由と役割という今でも扱われるテーマをリアルに描く手法によって暴き出しています。
自然主義の代表例は、チェーホフの「桜の園」です。永遠には存在せず、だんだんと移り変わって行く桜の園の様子をリアルに描いています。
https://gekidankatakago.com/2020/02/27/post-1599/
不条理劇
不条理劇というジャンルも人によって使われ方が随分と違うために、会話の中でずれが出やすい演劇のジャンルになります。
海外で言えば、サミュエル・ベケットの「ゴトーを待ちながら」が不条理劇の例としてよく挙げられます。
「ゴトーを待ちながら」では、『2人の男が「ゴトー」という男を木の下でずっと待ち続ける』という芝居となっています。
そして、ゴトーはお芝居が終わってもやってくることはありません。
その間に男たちはぐだぐだと同じことを繰り返したり、自殺を試みたりします。そもそもゴドーが誰かも明らかにはされません。
これを批評家が、人間の退廃的な様子。つまり、意思の伝達も不可能で人間の本質すらをも見失った様子を描いていると評しました。
そんな、不条理で不毛な様子を描くのが不条理劇だといわれます。
派生して、ありえない状況を描く芝居も広く不条理劇だと言ったりもします。
日本では別役実さんが、不条理劇の金字塔だと言われます。
別役実さんの作品である『マッチ売りの少女』では、
裕福な夫婦の家に突然見ず知らずの女が現れ「私はあなたたちの娘です」と言い、夫婦に衝撃と恐怖を与えるという話です。
こんな一見ありえない設定から人間の本質の揺らぎを描いているのが不条理劇です。
まとめ
いかがだったでしょうか?
演劇のジャンルをしることで、演劇がよりいっそう楽しめます。
他にもまだまだ演劇のジャンルはありますので、今後も開拓していきましょう。