別役実の生涯と代表作

別役実氏と言えば「マッチ売りの少女」で有名な日本演劇界の巨匠として知らていると共に、随筆家、童話作家でもありました。

今回はそんな別役実氏について、どんな生涯を辿ったのか、どんな作品を世に送り出してきたのか、じっくり紹介していきたいと思います。

それでは早速見ていきましょう。

目次

別役実の前半生

別役実氏は激動の時代に生を受けました。

生まれたのは1937年、当時日本軍が統治していた旧満州国新京市(現中華人民共和国長春市)でした。

当時の日本はまさに太平洋戦争へと進まんとしている荒れ模様を呈している時期でした。

幼少期の別役実氏は生まれてすぐに歴史の波に翻弄され、終戦後の1946年に旧満州から日本へ引き揚げてきました。

当時は演劇との縁こそまだありませんでしたが、小学校4年生の頃から既に詩作を行っており、文才はその頃から芽生えていました。

文才があったとは言え、その後の中学から高校時代は画家を目指していた別役実氏ですが、早稲田大学に入学してから転機は訪れます。

早稲田大学に入学すると学生劇団「自由舞台」に入団したことで別役実氏は初めて演劇との縁を持つに至りました。

自由舞台は1947年に早稲田大学で創設された「さつき座」を前身としており、1949年に自由舞台へと改称しました。1969年まで活動し、別役実氏の他、演出家の鈴木忠志氏や俳優の風間杜夫氏や加藤剛氏なども在籍しました。

別役実氏は学生劇団「自由舞台」で後に演出家となる鈴木忠志氏に出会ったことで演劇の世界にのめりこむこととなります。

なお、当時は学生運動が活発な時期でもありました。

当時はいわゆる安保闘争の真っただ中で、別役実氏も在学中は学生運動に積極的に参加していました。

学生生活は経済的な事情で長くは続きませんでしたが、その間に「貸間あり」、「ホクロソーセーヂ」、「AとBと一人の女」の3作品を手掛けました。

3作品の内、「AとBと一人の女」については1961年に自由舞台で発表されたことで日の目を見ました。

別役実の後半生

別役実氏が経済的な事情で早稲田大学を中退してからはサラリーマン生活をしながら執筆を続けました。

別役実氏が生を受けてから時間が経つこと29年のこと、1966年に別役実氏の代表作の1つである「マッチ売りの少女」が発表されます。

その後1968年に「マッチ売りの少女」と共に「赤い鳥の居る風景」が共に第13回岸田國士戯曲賞を受賞しました。

岸田國士戯曲賞は劇作家であった岸田國士氏の功績を称えて創設された賞で、演劇界の芥川賞とも言われています。

第13回岸田國士戯曲賞を受賞してからはサラリーマン生活から一転して劇作家に専念するようになります。

1985年は「夕空はれて〜よくかきくうきゃく〜」を発表し、1988年には芸術選奨文部大臣賞にも輝きました。

同じ時期に詩作も行っており、「雨が空から降れば」などといった詩も手掛けました。

余談ですがアニメ「銀河鉄道の夜」の脚本制作に関わったのもちょうどこの時期です。

1990年代に入ると後に新人戯曲賞を主催することになる日本劇作家協会の創立に関わり、1993年の創立にこぎつけました。

なお、別役実氏は1998年から2002年までの間、日本劇作家協会の第2代会長を務めています。

2003年からは兵庫県立ピッコロ劇団の代表を務め、2009年まで務めました。

その間に2007年に「街と飛行船」と「不思議の国のアリス」で紀伊國屋演劇賞(第42回)、2008年に「やってきたゴドー」で第11回鶴屋南北戯曲賞、2008年度朝日賞をそれぞれ受賞しています。

以降は2012年に第19回読売演劇大賞、芸術栄誉賞をそれぞれ受賞、2013年には芸術院会員に選出されました。

芸術院会員になると芸術の発展に寄与する活動や芸術に関係する重要事項を審議するなどの役割を持ちます。必要に応じて文部科学大臣または文化庁長官に意見を述べることも可能です。

以降も作品の執筆を精力的に続けましたが、この頃から病気と闘う日々になっていました。

別役実氏が生涯に幕を下ろしたのは2020年3月3日のことでした。

なお、別役実氏はこんな言葉を残しています。

“あらゆる世界に対して誠実であるためには沈黙するのみである、という鉄則を前提にして、如何に職業芸術家は文体を持続させ得るか?という点から私の計算がはじまる。”

別役実の作り方–幻の処女戯曲からそよそよ族へ | enpaku早稲田大学演劇博物館

別役実の作風の特徴

別役実氏の作品には何と言っても不条理性とでもいうべきものが常につきまとってきます。

不条理劇というと勘のいい読者の皆様におかれましては既にとある人物の名前が出ているかもしれません。

サミュエル・ベケットです。

別役実氏はサミュエル・ベケットらの不条理劇の影響を強く受け、日本の演劇界における不条理劇のパイオニアとでも言うべき存在になりました。

そんな別役実氏の作品には全体的に2つの特徴があります。

1つは殆どの作品において登場人物に固有名詞(名前)がないことです。

例えば1961年に発表された「AとBと一人の女」ではA、B、Cの3人を主人公にしており、名前は付けられていません。

他の作品でも同様に男1、男2などといった具合に名前が付けられていないことが殆どです。

2つに別役実氏の作品には必ずと言っていいほどの電信柱かそれに相当するものが柱のようなものが作中に立っていることです。

ただ、作品に登場するものは基本的に電信柱(又はそのような柱)のみで、それ以外何もない空間で物語が進んでいく作風になっています。

別役実の代表作を紹介!

別役実氏の生涯と作風を見たところで、ここからは別役実の代表作についてみていきましょう。

名前は知っているけど内容までは知らないという方はこの機会にぜひ知っておくといいかもしれません。

今回は数々ある作品の内、代表作と幻の未発表作品の合計8作品を紹介していきます。

AとBと一人の女(1961年)

「AとBと一人の女」はまさに別役実氏の全ての作品のルーツとでも言える作品で、1961年に発表されました。

先述したように本作の登場人物に名前はなく、A、B、Cの3人の人物を主人公に、小市民の日常に潜む不条理さを滑稽なまでに描いています。

しかも舞台空間には電信柱しかありません。

男Aに劣等感を抱く男B、モノローグの応酬のような展開の中でやがて関係は逆転していき…この先はネタバレになりますので割愛させていただきます。

本作は処女作だったとは言え、「静けさ」や「もっていきどころのない葛藤」などといった別役実氏の不条理な作風がよく表れた作品となっています。

本作が発表された当時はいわゆる安保闘争が吹き荒れていた時代で、別役実氏自身も基地反対運動で演劇からしばらく離れた後に執筆した作品でもありました。

マッチ売りの少女(1966)

アンデルセン童話にも同じ名前の作品がありますが、別役実氏の「マッチ売りの少女」は似ているようで異なる作品で、1968年に岸田國士戯曲賞を受賞しました。

本作では初老の夫婦と女、その弟を中心に物語は進展していきます。

本作の舞台は戦後日本、1960年代です。

初老の夫婦のもとに突然とある女が現れ、初老の夫婦が亡くしたはずの娘であることを告げて物語は始まります。

そしてその女は「マッチ売り」の少女であったと告白するのでした。

ここでいう「マッチ売りの少女」とはアンデルセン童話であったような貧困ゆえの不幸によるものではありません。

ここでいう「マッチ売りの少女」は戦後の焼け跡の中で恥辱的な体験を経た心の貧しさが焼き付けられるものでした。

初老の夫婦は既に戦後の一億総中流社会で安寧に生きようとしているところ、かつての「マッチ売りの少女」は戦後間もない食べ物もなく、焼け跡しかなかった時の屈辱的体験を強く記憶に留めて現れるのです。

そしてその「マッチ売りの少女」だった女はそれを忘れることを許さないのです。

平和な家庭に取り付いて過去を執拗に追及する理不尽さ、戦後の混乱期の記憶と想い、そしてしたたかに生きる人間の傲慢さが本作を通じて暴露されていくことになります。

相容れない2つの対立する時代を不条理劇に取り込んだところに別役実氏の鋭い着眼点が感じられる作品となっています。

赤い鳥の居る風景(1967)

「赤い鳥の居る風景」は1967年に発表され、1968年に先述した「マッチ売りの少女」と共に岸田國士戯曲賞を受賞した作品です。

本作では登場人物の「盲の娘(女)」とその弟の両親が自殺したところから物語は始まります。

そこに突然知らない男(旅行者)がやってきて、自殺した両親に金を貸していたと言い、残された姉弟は「旅行者」に両親の借金を返済していくことになりました。

また、両親の自殺について、両親とその死因について調査する「委員会」が設立されました。

「旅行者」の存在は誰も知らないということで「委員会」から派遣された「男」によって連行されてしまいます。

本作では「旅行者」が抱える不条理と、残された姉弟が「人は原因なしに死んではならない。それが委員会の思想」とする委員会で「原因」が分かった後も抱え続ける不条理が描かれています。

本作は両親の死後の姉弟と「旅行者」との関わり、過去の家族と父の知人(旅行者)との関わり、両親の死後に戻って「委員会」と「旅行者」との関わり、最後にその後の姉弟の関わりという流れでそれぞれの関わりの中の不条理を描いています。

不思議の国のアリス(1970)

「不思議の国のアリス」というとイギリスの児童小説の方を思い浮かべたくなるところですが、別役実氏の「不思議の国のアリス」は本家とは性格が異なります。

別役実版の「不思議の国のアリス」は「幻想の砂漠」を舞台にしており、「幻想の砂漠」の中で奇妙なサーカス団が物語を繰り広げる作品です。

本作では体制変革の中で喜劇役者が処刑されたり、面を付け替えながら関係性をのらりくらりと変えていく人々、そしてその中を生き抜くアリスの姿が描かれます。

なお、本作は2007年に紀伊國屋演劇賞を受賞しました。

別役実版「不思議の国のアリス」はスペクタクルには欠けるかもしれないが、セリフの密度や情感の削がれぐあいなどが濃厚に描かれているところが良いという評判があります。

街と飛行船(1971)

「街と飛行船」は先述の別役実版「不思議の国のアリス」より1年遅れての発表となりましたが、「不思議の国のアリス」と共に2007年に紀伊國屋演劇賞の受賞を果たした作品です。

本作では外の世界から完全に隔絶された街を舞台に物語は進行します。

そこにとある男が迷い込むのですが、そこで「父親」になるようお願いされ、なりゆきでこの街で暮らすことになるのでした。

当時はまだ考えられなかったですが、発表から50年後にまさかこの世界が具現化されるとは誰が思ったことでしょう。

コロナ禍真っただ中の2020年7月、「コロナ禍における『街と飛行船』 : 別役実と不条理」が出版されました。

ポンコツ車と五人の紳士(1971)

別役実氏の作風と言えば電信柱かそのような柱を1本立てて舞台進行していくスタイルが中心ですが、1971年に発表された「ポンコツ車と五人の紳士」は少々事情が異なるようです。

作品名に「ポンコツ車」とあるだけのことはあり、朽ち果てた車が登場します。

そこにどこからとなく5人の男たちが集まり、ストーリーは始まります。

本作は特に物語が大きく進展するということもなく、どこからとなく集まってきた5人の男たちのとりとめのない会話で終始します。

本作の性格上、ドラマリーディング形式による上演も多いです。

ゴドーがやってきた(2007)

「ゴドーがやってきた」はゴドーとゴドーを待つウラジミールとエストラゴンの3人を中心に物語が進行する作品です。

とある夕暮れ、別役実氏の作品によく見られる電信柱にベンチ、バス停の柱のあるところでウラジミールとエストラゴンはゴドーを待つのですが、ゴドーが着く前に2人を困惑させるイベントが起きます。

エストラゴンには30年別れたままのエストラゴンの母らしき人物が、ウラジミールには女とウラジミールの子らしき人物が登場し、現場はハチャメチャなまでに混乱します。

そこにゴドーは颯爽と現れるもそれどころではありません。

本作では登場人物が結局皆すれ違いあい、「待つこと」さえ無意味に感じさせてしまうような作風になっています。

ゴドーと言えばサミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」が演劇史における不条理劇の代表作として有名です。

ホクロ・ソーセーヂ(執筆年不明)

最後に紹介するのは別役実氏の幻の処女作、ホクロ・ソーセーヂです。

本作は別役実氏が早稲田大学に在籍していた間に執筆したとされていますが、最後まで発表されることはなく、原稿も近年になってからようやく発見されました。

本作はとあるアパートに住む肉屋夫妻とアパート住民を中心に進行します。

長らく肉屋の妻が姿を現さないことからアパート住民は殺人を疑い、妻をソーセージにしたのではないかという噂まで流れました。

これでアパート住民は肉屋からソーセージを買おうとしなくなるものの、今度はそれを迫害と見なした町民から投石を伴う猛抗議が繰り広げられます。

これを受けてアパート住民が実際にソーセージを買ったらなんと妻のホクロらしきものが見つかった、というストーリー展開です。

「ホクロ・ソーセーヂ」の原稿は早稲田大学演劇博物館で展示されています。

日本演劇界の不条理劇のパイオニア、別役実!

今回は別役実氏の生涯と作風、代表作について紹介しました。

別役実氏の生きた時代は常に歴史の波に翻弄されるものでしたが、そんな時代背景が別役実氏の不条理劇という作風を育てたのかもしれません。

今回紹介した8作品以外にもたくさんの魅力的な作品があります。

中には「受付」のように不条理なのにクスッと笑えてしまう作品もあります。

この機会に別役実氏の作品に触れて不条理劇の世界を堪能してみてはいかがでしょう。

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